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北方領土問題の歴史

 不法占拠された「日本の領土」

1945年8月9日、ソ連軍は、1941年に署名された当時有効であった日ソ中立条約を無視して対日参戦した。ソ連軍は、終戦後の8月18日より千島列島への攻撃を開始し、9月5日までに北方領土を占領した。

日魯通好条約に基づく国境線

日魯通好条約 1855年(安政元年)2月7日

静岡県下田市において結ばれました。この条約で、両国の国境は、択捉島とウルップ島の間にきめられ、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島は日本の領土とし、ウルップ島から北の千島列島はロシア領として確定されました。また樺太は両国民の混住の地と決められました。

 
    

樺太千島交換条約に基づく国境線

樺太千島交換条約 1875年(明治8年)

千島列島をロシアから譲り受けるかわりに、樺太全島を放棄しました。 この条約では、日本に譲渡される千島列島の島名を一つ一つあげていますが、列挙されている島はウルップ島より以北の18の島で、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土は含まれていません。

 
    

ポーツマス条約に基づく国境線

ポーツマス条約 1905年(明治38年)

日露戦争の結果、北緯50度以南の南樺太が日本の領土となりました。

 
    

サン・フランシスコ平和条約に基づく国境線

サン・フランシスコ平和条約 1951年(昭和26年)

日本は千島列島・南樺太の権利、権限及び請求権を放棄しました。しかし、放棄した千島列島には択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土は含まれていません。
なお平和条約では放棄した地域が最終的にどこに帰属するかについては、なにも決められていません。

 

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